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- 企画・製作:坂井利帆
- プロデューサー:
髭野純 近藤信幸 - 協力プロデューサー:佐野敏也
- 撮影監督:山本大輔
- 撮影:長瀬拓
- 録音・整音:黄永昌
- 録音:弥栄裕樹 藤口諒太
- 構成:和田清人
- 編集:大川景子
- アートディレクター:大村雄平
- 音楽:フィッシュマンズ
- 音楽整音:ZAK
制作:SETAGAYA FISHERIES COOPERATIVE
配給:ACTV JAPAN / イハフィルムズ
PROFILE
フィッシュマンズのボーカリスト。楽曲によってギター、コルネットも演奏する。バンドの中心的存在として、ほぼすべての楽曲の作詞作曲を手がけた。1999年3月15日永眠。
フィッシュマンズのリーダー。ドラムス担当。1987年、佐藤伸治、小嶋謙介とバンドを結成。佐藤が亡くなったあとも、フィッシュマンズの名前を背負って活動をつづけている。東京スカパラダイスオーケストラのドラマー。
フィッシュマンズのギタリスト。1987年結成時から1994 年までバンドに在籍。「土曜日の夜」「あの娘が眠ってる」等を作詞作曲した。脱退後はアートディレクターとして活動している。
フィッシュマンズのベーシスト。1988年、茂木欣一に誘われて加入。1998年のツアー『男達の別れ』を最後に音楽活動を離れるが、その後、復帰。2005年の再始動からフィッシュマンズを支えている。
フィッシュマンズのキーボーディスト。1990年、佐藤伸治の強い希望で加入。「オアシスへようこそ」「Woofer Girl」等を作詞作曲する。1995年に脱退。2009年に復帰。映画音楽、TVドラマの劇伴音楽も手がけている。
サウンド・エンジニア。1991年、PAエンジニアとしてライブ初参加。『Neo Yankees’ Holiday』から『宇宙 日本 世田谷』までレコーディング・エンジニアを務める。フィッシュマンズ・サウンドに欠かせないバンドの頭脳。
ギタリスト。ヒックスヴィルのメンバー。小嶋謙介脱退後のフィッシュマンズにサポート・ギタリストとして加入。プライベート・スタジオの設立、『空中キャンプ』のレコーディング等に関わった。
ギタリスト。ザ・カスタネッツのメンバー。茂木欣一、柏原譲とは明治学院大学ソング・ライツの同期。小嶋謙介の脱退後、サポート・ギタリストとして『Oh! Mountain』等に参加した。
シンガーソングライター。バイオリニスト。キーボーディスト。1995年HAKASEの脱退後、フィッシュマンズに参加。ソロ・アーティストとして、2枚のアルバムを発表している。2007年9月27日永眠。
ギタリスト。1963年生まれ。SUPER BAD、TOMATOSの元メンバー。1996年、木暮晋也の離脱後、サポート・ギタリストとしてフィッシュマンズに参加。「SEASON」以降はレコーディングにも携わった。
ミュージシャン。ダブ・トランペッター。インストゥルメンタル・ダブ・バンドMUTE BEATで世界的に評価される。佐藤伸治の希望で、フィッシュマンズの1stアルバム『Chappie, Don’t Cry』をプロデュースした。
ミュージシャン。1995 年、ミト、伊藤大助と3ピースバンド「クラムボン」結成。ボーカルとキーボードを担当。バンド活動と並行してソロ活動も行う。2005年の再始動よりフィッシュマンズに参加。
ミュージシャン・永積 崇によるソロユニット。『空中キャンプ』でフィッシュマンズの音と出会い、一時期ずっと聴き続けるほど影響を受けたという。2005年の再始動からフィッシュマンズに参加。
ミュージシャン。1995年デビュー。1996年、フィッシュマンズのアルバム『LONG SEASON』に参加。1999年に発表した「ノハラソング」は亡き佐藤伸治に捧げた曲。再始動後、フィッシュマンズに参加する。
ミュージシャン。1989年、早稲田大学在学中に桜井秀俊とともに真心ブラザーズを結成。同年9月デビュー。1997年6月、日比谷野音で行われたフィッシュマンズのイベント『闘魂’97』に参加した。
手嶋悠貴
1982年福岡県生まれ。多摩美術大学在学中より、MVを中心に映像演出の仕事を始める。卒業後はフィジーとオーストラリアに約2年間移住。帰国後、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻にて栗田豊通氏に師事する。現在は映画、コマーシャルフィルム、MV、海外コンテンツなどジャンルにとらわれず、演出、撮影監督として活動している。撮影監督を務めた作品は、ヒップホップ MC「般若」の音楽ドキュメンタリー映画『その男、東京につき』(2020)など。『映画:フィッシュマンズ』(2021)で長編監督デビューを果たす。
山本 大輔
1982年京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻撮影照明領域修了。インディペンデント映画、コマーシャルフィルム、ミュージックビデオなどで撮影監督として活動。近年の作品に『シスターフッド』(19/西原孝至監督)、『般若 武道館ライブ ”おはよう武道館”』(19/金允洙監督)、『空中茶室を夢見た男』(19/田中千世子監督)、『ファミマを曲がれば私のおうち』(19/鶴岡慧子監督)、『This is TOKYO』(20/田中雄之監督)などがある。
黄 永昌
1976年東京生まれ。映画美学校フィクションコース終了後、音響菊池信之氏のもとで助手をしながら様々な自主映画に参加。録音・音響を手がけた作品に、松村浩行監督『TOCHKA』(2007)、瀬々敬久監督『ヘヴンズ・ストーリー』(2010)、濱口竜介監督『不気味なものの肌に触れる』(2013)、中村佑子監督『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』(2015)、宮崎大祐監督『VIDEOPHOBIA』(2020)、杉田協士監督『春原さんのうた』(2021)、奥谷洋一郎監督『odoriko』(2021)などがある。
和田 清人
1982年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東京藝術大学映像研究科映画専攻で脚本家・田中陽造に師事する。テレビドラマ「深夜食堂/♯5バターライス」(09/TBS)で脚本家デビュー。主な脚本作品は、映画『先輩と彼女』(15/池田千尋監督)、『ギャングース』(18/入江悠監督)。
大川景子
1978年石川県生まれ。東京芸術大学大学院映像研究科映画専攻を卒業後、『ユキとニナ』 (09/諏訪敦彦監督)に編集助手として 携わる。その後編集を手がけた作品に、『自由なファンシィ』(14/筒井武文監督)、『ひかりの歌』(18/杉田協士監督)、『ゆうやけ子どもクラブ!』 (19/井手洋子監督)、『春原さんのうた』 (21/杉田協士監督)などがある。
『映画:フィッシュマンズ』のために発足した映像制作プロダクション。日本語名は「世田谷漁業組合」。事務所は世田谷区の城山通り沿いにあり、当然ながら魚は獲れない。組合長はデビュー当時からのフィッシュマンズ・ファンの坂井利帆。坂井の呼びかけで、手嶋悠貴監督をはじめ、フィッシュマンズを愛するスタッフが続々とプロジェクトに参加した。『映画:フィッシュマンズ』を鑑賞し、周囲に宣伝してくれた人は、その日から世田谷漁業組合の一員である。